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日本的茶文化日语介绍

时间: 曾扬892 分享

日本的茶文化日语介绍

  日本的茶文化源于中国,却具有日本的民族特色。下面是学习啦小编精心为你整理的日本的茶文化日语介绍,一起来看看。

  日本的茶文化日语介绍

  お茶の伝来、日本での始まり

  遣唐使が往来していた奈良・平安時代に、最澄(さいちょう)、空海(くうかい)、永忠(えいちゅう)などの留学僧が、唐よりお茶の種子を持ち帰ったのが、わが国のお茶の始まりとされています。平安初期(815年)の『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」と記述されています。これが、わが国における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。このころのお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族階級などの限られた人々だけが口にすることができました。

  茶叶的传入与日本饮茶的开端

  日本饮茶的开端可以追溯到奈良、平安时代,当时遣唐使往来频繁,最澄、永忠等留学僧从唐朝带回了茶种。据平安初期(815年)的《日本后记》记载,“大僧都永忠在近江梵释寺为嵯峨天皇斟上了煎茶”。这就是日本有关日本茶饮用的最早记载。当时,茶叶十分贵重,只有僧侣、贵族阶级等少部分人才能品尝。

  鎌倉初期(1191年)に栄西(えいさい)禅師が宋から帰国する際、日本にお茶を持ち帰りました。栄西は、お茶の効用からお茶の製法などについて著した『喫茶養生記(きっさようじょうき)』(1214年)を書き上げました。これは、わが国最初の本格的なお茶関連の書といわれています。栄西は、深酒の癖のある将軍源実朝に本書を献上したと『吾妻鏡(あずまかがみ)』に記してあります。

  镰仓初期(1191年),游学宋朝的荣西禅师归国之际携带了一些茶种回到了日本。荣西著有《吃茶养生记》(1214年),书中对饮茶的功效到茶叶制法都作了介绍,是日本第一本真正与茶有关的专著。《吾妻镜》中记载,将军源实朝嗜酒如命,荣西就向他献上了《吃茶养生记》一书。

  お茶の栽培

  もともと日本の山間部の奥地に自生していた「山茶(さんちゃ)」を飲んでいたという説もあるようですが、お茶の栽培は栄西が、中国より持ち帰った種子を佐賀県脊振山(せぶりさん)に植えたのが始まりだといわれています。 その後、京都の明恵上人(みょうえしょうにん)が栄西より種子を譲り受け、京都栂尾(とがのお)に蒔き、宇治茶の基礎をつくるとともに、全国に広めていきました。当時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させたもの(碾茶=てんちゃ)で、社交の道具として武士階級にも普及しました。

  茶叶的栽培

  说到茶叶的栽培,有人认为日本人过去一直饮用自然生长于日本山谷深处的“山茶”,不过一般看法还是认为,茶叶栽培发端于荣西在佐贺县脊振山种植从中国带回的茶种。后来,京都的明惠上人从荣西那里得到了茶种,在京都栂尾开始栽培,由此形成了宇治茶的基础,逐渐盛行全国。当时的茶属于一种“碾茶”,即将茶叶揉捻后焙干制成。此后茶成为社交的手段,在武士阶级中普及开来。

  南北朝時代の『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』(虎関師錬=こかんしれん 著)には、当時の名茶産地が記されています。京都各地および大和、伊賀、伊勢、駿河、武蔵では、寺院、寺領の茶園を中心に茶栽培が行われるようになりました。さらに、お茶栽培の北限といわれる茨城の奥久慈のお茶も14世紀に始まったといわれています。

  南北朝时代的《异制庭训往来》中记载了当时的著名茶叶产地,茶叶栽培主要在京都各地及大和、伊贺、伊势、骏河、武藏等地区,以寺院、寺领为中心进行。而被称为茶叶栽培之北界的茨城奥久慈茶也始于14世纪。

  茶道の完成

  栄西の『喫茶養生記』は、わが国の喫茶文化普及に多大な影響を及ぼしました。 鎌倉時代の末期には南宋の「闘茶」が武士階級に浸透、茶寄合いなどが盛んになり、茶歌舞伎などの抹茶法(茶の湯)が急速に広まりました。 そして、15世紀後半から16世紀後半には、村田珠光(むらたしゅこう)、武野紹鴎(たけのじょうおう)、千利休らによって新しいお茶の礼式がつくられ「侘茶(わびちゃ)」として大成、武士階級に流行し、現在の「茶道」として完成されていきます。

  茶道的形成

  荣西的《吃茶养生记》对在日本普及饮茶文化起到了极大的作用。镰仓时代末期,南宋的“斗茶”雅兴在武士阶级中间流行,“茶寄合”等游戏大受欢迎,茶歌舞伎等抹茶法也迅速扩展开来。到了15世纪后半期至16世纪后半期,村田珠光、武野绍鸥、千利休等茶人发展出的新茶道礼仪——“闲寂茶”成熟起来,在武士阶级中流行,最终形成了现代所说的“茶道”。

  日本的茶文化的饮茶步骤

  日本人相当注重形式,茶道便是这样的一种体现。他们喜欢当着客人的面准备食物,像铁板烧,让客人不仅能吃到食物,还能学习到烹饪的方法,茶道也是如此。

  日本茶人在举行茶会时均抱有“一期一会”的心态。这一词语出自江户幕府末期的大茶人井伊直弼所著的《茶汤一会集》。书中这样写到:“追其本源,茶事之会,为一期一会,即使同主同客可反复多次举行茶事,也不能再现此时此刻之事。每次茶事之会,实为我一生一度之会。由此,主人要千方百计,尽深情实意,不能有半点疏忽。客人也须以此世不再相逢之情赴会,热心领受主人的每一个细小的匠心,以诚相交。此便是:一期一会。”这种“一期一会”的观念,实质上就是佛教“无常”观的体现。佛教的无常观督促人们重视一分一秒,认真对待一时一事。当茶事举行时,主客均极为珍视,彼此怀着“一生一次”的信念,体味到人生如同茶的泡沫一般在世间转瞬即逝,并由此产生共鸣。于是与会者感到彼此紧紧相连,产生一种互相依存的感觉和生命的充实感。这是茶会之外的其他场合无法体验到的一种感觉。

  茶事的种类繁多,古代有“三时茶”之说,即按三顿饭的时间分为朝会(早茶)、书会(午茶)、夜会(晚茶);现在则有“茶事七事”之说,即:早晨的茶事、拂晓的茶事、正午的茶事、夜晚的茶事、饭后的茶事、专题茶事和临时茶事。除此之外还有开封茶坛的茶事(相当于佛寺的开光大典)、惜别的茶事、赏雪的茶事、一主一客的茶事、赏花的茶事、赏月的茶事等等。每次的茶事都要有主题,比如某人新婚、乔迁之喜、纪念诞辰、或者为得到了一件珍贵茶具而庆贺等等。

  茶会之前,主人要首先确定主客,即主要的客人,一般为身份较尊贵者,像千利休之于丰臣秀吉。确定了主客之后再确定陪客,这些陪客既要和主客比较熟悉又要和主客有一定的关系。决定客人之后便要开始忙碌的准备茶会了,这期间客人们会来道谢,因为准备工作的繁忙主人只需要在门前接待一下即可。一般茶会的时间为四个小时,太长容易导致客人疲惫,太短又可能无法领会到茶会的真谛。茶会有淡茶会(简单茶会)和正式茶会两种,正式茶会还分为“初座”和“后座”两部分。

  为了办好茶会,主人要东奔西跑的选购好茶、好水、茶花、做茶点心及茶食的材料等。茶会之前还要把茶室、茶庭打扫的干干净净,客人提前到达之后,在茶庭的草棚中坐下来观赏茶庭并体会主人的用心,然后入茶室就座,这叫“初座”。主人便开始表演添炭技法,因为整个茶会中要添。

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